四姉妹からの手紙

2人の物書きの往復書簡です

たった4文字の返信 ── カガワヨリ

10年ほど前に付き合っていた人が、とつぜん夜中に長文のメールを送ってくる人だった。思いのたけを込めたのか、あふれる感情を持て余したのか、昔の友達との思い出や、追っていた夢や、夢破れた苦しみをほかのものに置き換えることでなんとか自分を保とうとしている自尊心のようなものが、なんのまえぶれもなく深夜1時頃に何千文字も送られてくる。念のこもったその文面に、わたしなりに「これは真剣に返さなきゃな」という真摯さと、それをするならかなりの時間がかかるぞと、翌朝の予定を考えて「読んでしまった」という重苦しさに苛まれる。

夜中にベッドのなかで、この思いに応えるにはどう言葉を尽くせばいいんだろう、とうんうん唸り、なんども読みなおしてはメールを返して、深夜2時をこえ眠る。相手からは翌日になっても、翌々日になっても返事はない。「ああ、納得したのかな」とわたしもすっきりする。もし返信が不満だったなら、さらなる念が届くはず。わたしは、恋人のそういう、全力で送りたい時に送りたい人に送りたい思いをぶつけるところが好きだった。

数日後、ふたたびのデートの時にわたしは、深夜の長文メールがわたし以外にも複数人送られていたことを知らされるのだけれど。

話を聞くに、メールを深夜に送られた人のなかにある芸人さんがいた。恋人と同窓生らしい。テレビのイメージではかなりホスピタリティのある、場の空気を読みながらなごませる感じのいい人だ。けれどもその方の返信は、たった一言、

「長いわ!」

それを恋人は嬉しそうに話す。何千文字もの言葉に対して、内容に触れるでもない短い返信。その4文字には、言葉を尽くしても尽くしてもおさまりきらない2人の関係があるんだろう。満足そうな恋人の横顔をみて、いいな、と思ったことを覚えている。

 

そんなことを、”「余すところなく伝えるパワーのすさまじい手紙を書けた」という奇妙な満足感をたまに感じる”というあなたの言葉から思い出した。

長文にしたためられた思いも、たった一言のお返しも、どちらも愛しい。ただ最近はTwitterもLINEもそのほかのチャットも短いやりとりが多くなっている。だから、今、文章がほしい。このブログが新しい楽しみになって、コロナ禍で引きこもりがちなわたしの生活のなかできらめき始めています。

あなたからのお返しを楽しみにしています。

 

カガワヨリ