四姉妹からの手紙

2人の物書きの往復書簡です

読み飛ばしてくれていいよ、忘れてくれても ── カガワヨリ

あらためて、人って全然違うんだなと噛み締めている。

わたしはすぐ「忘れる」。書いたことも忘れ、なんならふと読み返しても「これわたしが書いたんだっけ?」と首をひねることもある。もう20年前の恋人に「あれ、わたしと付き合ってたっけ?」としばらく思い出せなかったみたいに。わたしとあなたは多くの面できっと似ているけれど、多くの面で真逆といっていいほど違う。それが面白いのだけれど。

 

「人によって違うね」とよく言うと指摘されたこと。

そういえばたしかによく言う。誰にでも言う。理由はいくつかあって、まず、人によって意見が違うということがすっぽり抜けてしまう人が世の中にはけっこういるということ。そういう人は思いこみが激しいので、「人によって違う」とあえて注釈をつけてつねに相対化しつつ話さないと、いつのまにか言ったつもりもないふうに勝手に解釈されてしまい、どっと疲れる。もうひとつは、主観を言う人は断定的に話しがちだ。その言葉は時に攻撃的になり、かつ、視野が狭く見える(実際どうなのかは知らない)。だからいったん視野を広げたうえで、「わたしはこの意見をチョイスしときますね」と自分のスタンスを表明したい。そうでないといらぬ対立が起こりえる。なにより、疲れる。
もっとやっかい理由には、わたしが『自分の考えや思いを他人に言うことの意味があまり見出せない』というのがある。意味がわからないことをするのは、疲れる。だから「〇〇を解決したい」など目的のはっきりした相談事には、自分自身の回答をしていると思う。その時に一般論をそえることもあるけれど、それは「相談事の解決のためには複数回答がいいだろう」という考えからだ。

最後にひとつ。自分の主観で話すと、自分の感情に飲み込まれて疲れる。相手も疲れさせてしまうという恐れもある。そのためにわたしは物事をつねに客観で見ようとし、自分と相手以外の視点もふくめて話し、相対化する。自分の主観で世界がいっぱいにならないように。どうせ放っておいても人間なんて主観的なんだから、すこしでも自分勝手でいないために、できるだけ客観的な姿勢でいさせておくれよ、と思うのだ。

 

でも謝らなければいけないね。

これらは、視野が狭く、思い込みが強く、言葉の力を持て余している人に対する理由だった。そしてわたし自身が居心地良く、楽な姿勢でいるためのもの。それを世間に目を向け、自分自身にも目を向けている人に向かって「人によるね」ということは、相手を見くびっている行為になるのかもしれないなと、やっと反省した。ごめんなさい。そしてありがとう。

 

ふりかえっても、子どもの頃から「秘密主義だね」「悩み相談しないよね」とよく言われてきた。だいたいは聞き役で、自分については、親友にも恋人にも家族にも言わないことが山ほどある。隠しているわけではなく、言う意味がわからないのだ。悩みがあれば自分で解決すればいいし、自分で処理できなくなったら適切な人に具体的な相談をすればいい。だいたい自分の話をして、相手が楽しいとは思えない。そんなもんだからだいたいの恋人達には別れ際に「あなたのこと結局ちっともわからなかった」と言われる。わたしからしてみれば「聞かれなかったからな」と思う。聞かれればなんでも答えるつもりだ。

だからきっと書くのは好きだし、楽なのだ。言葉にすることで考えもまとまるし、なにより、相手の時間を勝手に拘束しない。読みたい人は読みたい時に読みたいスピードで読んでも読まなくてもいいのだから。じゃんじゃん斜め読みしてくれていい。

 

すこし話は変わるけれど、おかざき真里さんの漫画『サプリ』でこんなシーンがあった。すこしうろ覚えなのはおおめにみて欲しい。──主人公の女性が、あまりうまくいっていない恋人の男性に、(本人なりに)少し突っ込んで話をしかける。すると相手からは無難な答えが返ってきて、女性はショックを受けひとり思う。「一般論で返されました…」と。こんなようなシーンだ。

 

あなたは、プライベートな関係の人に一般論で返されたらどう思う?

 

わたしこのシーンを読んだ時、「気持ちはわかるよ。その人本人を見せてほしかったんだよね」という共感と、「いや、傲慢だな」という嫌悪感の両方があった。この嫌悪感は、自分の心のなかを見せることが(親愛の)コミュニケーションだと思わないところからくる。自分が心を開いたからといって相手がそうしなかったことに落ち込むのは受身だ。そう、わたしは「察してちゃん」が超苦手なのだ。

でもそれだと「寂しい」と言われることも人生のなかでずいぶん学んだので、ここ数年は意図的に、自分の悩みや個人的な感想をテーマもなく話すようにはしている。文字ではできるようになってきたけれど、話すのは難しい。喋りながら「なんでこの話してるんだっけ」とか思ってしまう。コミュニケーションが貧しいんだろうなと落ち込みもするけれど、すこしずつ、いろいろ試してみることしかできない。

 

そんな時間に付き合ってくれるあなたには、とても感謝しています。
せめて次回はもうすこし、短く、軽快なものを書こうかな。
ただもちろん、斜め読みでもいいんだからね(笑)

 

 

カガワヨリ