四姉妹からの手紙

2人の物書きの往復書簡です

渡り鳥の欲望は──カガワヨリ

物書きでいたいのか、というと自信を持ってそうだとは言えないなぁと、ぼんやり歩きながら思った。
物を書くことは、私にとって走ることに似ている。べつに歩いてたってどこにでも行けるし誰かに会いにも行けるけれど、走った方がすぐに行けるしすぐに会える。行きたかったり、会いたかったりする私は、走りだしてしまう。たぶん一輪車に乗るのがうまかったら一輪車に乗ってるし、スケボーが怖くなければスケボーに、セグウェイに憧れればセグウェイに、乗っているような気がする。眠りたければ、走りも歩きもせずに、寝るだろうな。
でも今のところ走ってしまうことが多いので、どうせ走るのならうまく、できるだけ疲れず走りたい。

高くまで登っていく鳥は、なんの鳥だろう。
渡り鳥かな。身体の大きな、軽やかには飛べなさそうな鳥も、ある時期になると遠くまで渡っていくよね。まるで季節も行き先もわかっているかのように。
燕が低く飛んだら雨がくる、という言葉もあるね。昨日は雨、明日も雨。その狭間の今日はいろんな場所で燕が低く飛んでいるかもしれない。雨の匂いがわかるんだろうかね。

人間はあんまりいろんなことがわかっていない気がするよ。頭をよぎった考えや、袖すり合ったぬくもりや、今夜のいびつな明るいお月様を忘れずにおきたくて、言葉を書くのかもしれない。

本当は、渡り鳥のように自分が書くべき時に書き、燕のように雨の匂いを感じたら書きたい。

でも今この瞬間に感じていることを、日々の墓標ですらなくこの一瞬の墓標を書き留めるとしたら、電車で隣に座ってるおじさんのおっぴろげた足にボールペン突き刺したい苛立ちと強烈な空腹。そんなふうに身体の欲望が残っていってしまうな。

 

カガワヨリ