四姉妹からの手紙

2人の物書きの往復書簡です

遠い人ならあきらめがつく ── 雅季子

交換日記も半月あいだが空くと、自分と自分がかつて書いたものがつながらなくなって参る。すっかり細胞の入れ替わる速度も早まってしまって、それなのに人間の寿命だけは伸びてるなんていやだこと。こんな感覚であれやこれやに火を立てて80歳まで、1億人みんながSNSではしゃいで生きていくのかしら。私たちの体で入れ替わるのはしょせん髪と爪、剥がれていく細胞くらいで、残りの部分は目も鼓膜も歯も持って生まれたもの(歯は7歳くらいで生え変わったわよね)をたずさえたまま卑しく生きていくしかないんだわ。だいたいこれ何十年も使うようにはできてないんじゃないかって、少し濁った白目を見て思うのよ。その昔、私の白目はとっても綺麗で、それだけで褒められたこともあったくらいなんだけど、今は本当にくたびれている。

 

Zoomで話す相手は、遠ければ遠いほど良い。近いのにZoomで話す理由がないもの。直接会ったり電話をかけたりできるくらいの距離なら、ダイレクトに会える方がいい。たぶんそれは、休日ちょっと地下鉄に乗って化粧品を買いに行きたいとか、表参道でお花を買いたいとか、六本木でランチしたいっていうのと同じ感覚。あと、オンラインで話すなら用事がたわいもないことでなければね。仕事の相談とか決定じゃなくて、ただ悩んでいることをぽろぽろ話したり、思い出話を挟んで近況を報告しあったりするのがいい。悩みは仕事のことでよくて、それを真剣な他人事として聞きあえるくらいの距離感ならずっと話していられる。だって近いと会いたくなるじゃん。本当は会えるはずだって思ってるから会いたくなるんだよ。でも飛行機を乗り継いで別の国に行くっていうことに、今リアリティを私は持てない。だからZoomで他の国に住む友達に会えるのが嬉しい。価値がある。そういうことなんだろう。Zoomがなかったら顔も見られない人の顔こそ見たい。そういう遠さに安心しながら、私はヨーロッパの朝めがけて、夕暮れ時、ミーティングを立ち上げている。

 

今、近所の学校のチャイムが鳴った。時計を見ると16:30。今までは17:00だったから、陽が落ちる時間にあわせて早くなったのね、きっと。

 

最近の私は実は文章のほかに、歌の詩を書いている。年内か、来年にはまとめて聴いてもらえる形になると思う。歌のための言葉は日常とも批評ともまったく違う書き方が出てくるので、とても興味深いよ。「永遠に」と書いて「とわに」と読むフレーズなんて生まれて初めて書いた。でも歌だとそれが、できる。不思議だなと思いながら今日もメロディと詩を往来して、言葉を書いている。